再びフクシマへ(2012年8月)


「ワンワンワン」
 携帯の着信音かと思いきや、土産物屋で物色していた家族連れが、
「うわっ、放射線量高っ!早く出よう。」
と言いながら、慌ただしく店を出て行った。
 ぼくは店の奥に展示されていた津波が押し寄せてきたときの写真パネルに見入っていた。
 しかし、さすがに少し不安になって、案内してくれた地元の人に尋ねてみた。
 放射線量を測定できる携帯電話のアラーム音だった。携帯端末に放射線測定機能をつけてほしいという多くの要望にS社がこたえ、独自に製品化したものだ。設定を低くしていたらすぐに鳴るそうだが、気持ちの良いものではない。風光明媚で、白い灯台と前に立つと美空ひばりの歌がながれる石碑で有名になったこの観光地も、3・11以降閑古鳥が鳴く日々が続いている。福島第一原発から約50km。

 昨年の夏、思い立って車をとばし、いわき市にボランティア活動に行った。高校前の排水路にたまった土砂をスコップでさらう作業や地震で真っ二つに割れた住宅の荷物運びを行った。
 今年の夏は、福島の子ども達をこちらに招待するための下調べに行った。まずは郡山市へ。
郡山でお世話になった知人のTさんは、職場ではマスク・ヘルメット・安全靴姿で通している。もちろん、3・11を忘却しないという意思表示の意味も込めてである。
 「郡山の現状を見て下さい。」と言って、いろんな場所を案内してくれた。
 まずは小学校。校庭は除染のために三度掘り返したという。掘り返した土は持っていく場所がないため、校庭を1m掘り下げて埋め込んでいる。この方法はすべての学校で行われているそうだ。校庭の表面線量は下がったそうだが、ただ下に埋めているだけの安易な解決方法には唖然とさせられる。
 Tさんは仕事上、常に線量計を携帯しているが、ぼくは実物を見るのは初めてだった。
 日曜日の校庭では少年野球の練習が行われていた。信じられない光景だった。Tさんが運動場横の花壇をガイガーカウンターで測定するとみるみる高い数値が出る。1.101μsv/h。目には見えないが、数値として目の前に表示されると思わず息が詰まる。
郡山市は福島第一原発から50kmも離れているが、同じ同心円内に位置するいわき市とくらべると放射線量が依然として高い。原発爆発時の風向きのせいである。今年度、運動会を実施した学校は午前中のみ。学校のプールは使用不可。転出する子ども達も多いそうだ。さまざまな制約の中で、子ども達も静かに耐えているのだろう。しかし、街中ではマスク姿の人はほとんどいない。一年以上も過ぎると、早く忘れてしまいたいという機制が勝ってしまうのだろうか。
 ぼくが今回の旅で一番恐ろしかった体験は、Tさんの自宅裏の排水路に梯子をかけて下りたときのことだ。住宅の中を流れる幅1m、高さ1mの排水路にホットスポットがあった。
 Tさんがかざした測定器の数値はみるみる上がっていく。f0266380_2021597.jpgあわててシャッターを押した。
6.4408μsv/h。あまりの高い数値にシャッターがぶれてしまった。その後、数値は上がり続け9.999μsv/hとなり計測不能となった。驚きと恐怖のあまりシャッターを押すのを忘れ、あわてて梯子をかけのぼった。一体どれほどの高い数値なのであろうか。
 Tさんはこんなホットスポットはいまだにいくつもあるという。みんな知らないだけで、分かったところで除染のしようもないというのが実情らしい。福島原発事故責任を問う訴訟原告の一人でもあるTさんがマスクを職場でし続ける意味もぼくには良く理解できた。まさに「知ることは生きること」なのだ。
 翌日は郡山にある仮設住宅におじゃました。富岡町からの避難者がほとんどだという巨大な仮設住宅群だった。農業試験場跡地に立ったたくさんのプレハブ住宅。大半が高齢者だ。住み慣れた土地を追われ、コンクリートで舗装された上に立つプレハブでは風も通らない。夏は窓を閉め切ってエアコンを入れるしかない。土から離れたくない人々は、近くの菜園を借りてトマトやキュウリを作っている。
「おい、日も暮れてきたのであの小屋へ帰るべ。」という老夫婦の会話が忘れられないと菜園の持ち主が僕に語ってくれた。生きるための足場を失ったお年寄りの孤独死や自殺も多いという。本当に原発は罪深いものだ。
郡山の次はいわき市へと移動した。
 ぼくが愛読している「日々の新聞」の編集長に相談にのってもらうためだ。福島の子ども達をこちらに呼ぶことに果たして意味があるのか、あるとしたらどこの地区の子ども達を呼ぶことができるのか。現地情報をたくさん持っているジャーナリストにまずは聞いてみたいと思ったからだ。好意的なアドバイスもたくさんいただき、今後もサマースクール実施に向けて協力してくれるとのことで強力な援軍ができた。
 本来は東電や国がなすべきことである。金も地位も名誉もないぼくらがいかほどのこともできないことは承知の上である。10人も呼べるかどうかだろう。でも、この国のエネルギー政策、原発政策のでたらめさと、だれ一人として放射能汚染の責任をとろうしないことに怒りを感じる。福島で起こったことを忘れず、心を寄せ続けたいと願っている。サマーキャンプをきっかけに友人になりたいとも思う。金と体力が続く限り続けたい。来年の夏には福島の子ども達を是非とも招待して、一緒にひと夏を楽しみたい。
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by yasutin2013 | 2013-03-29 17:18  

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